ten ways to make observations about indeterminate X.

/*! elementor - v3.15.0 - 20-07-2023 */ .elementor-column .elementor-spacer-inner{height:var(--spacer-size)}.e-con{--container-widget-width:100%}.e-con-inner>.elementor-widget-spacer,.e-con>.elementor-widget-spacer{width:var(--container-widget-width,var(--spacer-size));--align-self:var(--container-widget-align-self,initial);--flex-shrink:0}.e-con-inner>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container,.e-con-inner>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container>.elementor-spacer,.e-con>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container,.e-con>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container>.elementor-spacer{height:100%}.e-con-inner>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container>.elementor-spacer>.elementor-spacer-inner,.e-con>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container>.elementor-spacer>.elementor-spacer-inner{height:var(--container-widget-height,var(--spacer-size))} 不確定なXについての10の観測方法現代アルファベットの24番目の文字と19番目の子音である『X』(UK /eks/ US  /eks/)は、ギリシャ文字のKhi (Χ) の形から、Khristos Christの最初の文字を指す。 1 動かないX全体として何の動きも変化もないようにみえるけれど、意外な箇所に変化があるようなもの。あるいは断続的に何度もみることで動いているように感じるようになる。しかし実際は変化しないような出来事。2 XのなかのX文字どおりの入れ子。Xの中に逆にめくられていくXがある状態。Xがめくらていくということは何かが進行することだと思うのだけれど、めくられていくと中のXは最初の段回に戻っていく。あるいは同じXをめくる状態が俯瞰的に描かれたものが無限入れ子になってるもの。3 Xの素材や属性そのものにかかわる、もしくはそのもののX表示されているというよりは面そのものに手が加えられているようなもの。あるいは表面がすなわち構造のようなもの。4 窓の中の窓としてのX窓枠のなかのイメージの外もしくは内にある括弧がけのX。5 旅するX、Xによる旅場所とか位置とか移動とかに関わること。例えば最初の数ページをあなたが作成して残りの余白ページが100であるとした場合、100名のひとによって1ページづつ順番に書き加えられ最後にあなたにもどってくる。例えば、ある時間ある場所を描写した2冊の本(あなたバージョンとあなた以外のだれかバージョン)をつくる。あるいは空を動く雲。空に掲げてめくるイメージの見立て。日付と場所と時間が明記されるていること。例えば観光、絵はがき。例えば、あなた自身が体験したいつかの場所の話を、異なる時間にかなり離れた二カ所の同じような風景を背景に語ること。例えば、あなた自身が体験したいつかの場所の話を、または同じ公園の反対側から対面で観察した風景を、リバーシブル(うらおもて)に観測してみる。それぞれの視点からの風景のなかのシーンには、視点主体のお互いの存在が確認できる。あるいはそれらは記録される。6 視覚に関わるX例えば鏡を想像する。鏡像のなかの自分の動きや背景を別のデバイスを使って映し出してみる。客観視する。例えばみてはいけないX。目を閉じてイメージの中だけでそのページをめくるように指示されたX。実はすべて黒い表面だけで構成されたもの。7 動いているようにみえる、動かないX『1』の逆。もしくは内部からは永遠に変化しないようにみえるけれど、外からの観測では持続的に変化しているようにみえる出来事。8 自分が動いているように感じるX小さな穴から川の流れを注視してみる。9 ひとつのフレームのなかで複数のカットが同時進行ですすみ相互に微妙に関わっていくXひとつのXのなかで複数のシーケンスが進行する。それぞれのシーケンスのカット中で「すれ違い」や「関わり」が生じる。それらをデュアルに併置して同時に観察する。10 単語の連鎖により物語を紡ぐX文章構造を持たない単語をランダムにつなぎ、ナラティブイメージが形成されるか観測する。...

snowflakes coming on the wind

/*! elementor - v3.15.0 - 20-07-2023 */ .elementor-column .elementor-spacer-inner{height:var(--spacer-size)}.e-con{--container-widget-width:100%}.e-con-inner>.elementor-widget-spacer,.e-con>.elementor-widget-spacer{width:var(--container-widget-width,var(--spacer-size));--align-self:var(--container-widget-align-self,initial);--flex-shrink:0}.e-con-inner>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container,.e-con-inner>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container>.elementor-spacer,.e-con>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container,.e-con>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container>.elementor-spacer{height:100%}.e-con-inner>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container>.elementor-spacer>.elementor-spacer-inner,.e-con>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container>.elementor-spacer>.elementor-spacer-inner{height:var(--container-widget-height,var(--spacer-size))} 2001年、自転車に乗って起伏が激しい道を1時間ほどかけて五島の森の先の無人のビーチに通う。またいずれかの冬、氷点下の夕方のオホーツク海をただ散歩するだけのために、年末年始を雪に閉ざされた暗い街でただ1週間を淡々と過ごしてみる。何をするでもない「ただ」のそのような時間は今も続いています。それ以前の体験に紐づいていてそれはさらにその先のなにかに紐づいていますが、記憶として事実だけは再編集されながら持続される一方「光」の体験はそうした記憶とはどこか異なります。観光のようなエピソードは、一般的にいわれる「美しい風景」と同様、対峙的で事実を主体的対象として扱うことに少し似ています。一方で「光」の体験はその外にあります。つまり言葉は人の外にあり「光」の体験は言葉の外(外縁)にあります。エリック・ロメールの『冬物語』の冒頭は過ぎた夏のシーン(ブルターニュの浜辺)の淡い『光』の儚さや美さを思い起こさせますが、戯れる恋人の姿がブルターニュの浜辺のアンビエントな光によってフィルムに焼き付けられ、それらを人工光による投影で再現された(ような)フレームの目視体験(暗箱の体験)ともすこし異なります。おそらく、冬の日、ひとけのないプラットホームに弱い冬の陽がさしたなかを雪がゆっくりおりてきた時だけ刻印される、エピソードとは異なる深淵なる何か。再編集される思い出などより大切な何か。それ、大切です。 /*! elementor - v3.15.0 - 20-07-2023 */ .elementor-widget-image{text-align:center}.elementor-widget-image a{display:inline-block}.elementor-widget-image a img[src$=".svg"]{width:48px}.elementor-widget-image img{vertical-align:middle;display:inline-block} 旅先でポラロイドで撮影した写真を封筒に入れて封をして自らに送る。封をしたまま放置する。像を参照することはできない。1997年、冬。 ...

markup and the metaworld

/*! elementor - v3.15.0 - 20-07-2023 */ .elementor-column .elementor-spacer-inner{height:var(--spacer-size)}.e-con{--container-widget-width:100%}.e-con-inner>.elementor-widget-spacer,.e-con>.elementor-widget-spacer{width:var(--container-widget-width,var(--spacer-size));--align-self:var(--container-widget-align-self,initial);--flex-shrink:0}.e-con-inner>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container,.e-con-inner>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container>.elementor-spacer,.e-con>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container,.e-con>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container>.elementor-spacer{height:100%}.e-con-inner>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container>.elementor-spacer>.elementor-spacer-inner,.e-con>.elementor-widget-spacer>.elementor-widget-container>.elementor-spacer>.elementor-spacer-inner{height:var(--container-widget-height,var(--spacer-size))} 「MARKUP」とメタ世界 メタ世界はひとびとの生きる時間のうち半分以上を消費します。そんな領域の数GBを使って「MARKUP」がつくられました。「見立て」の空間のなかで、ふわふわの「ことば」や、やわやわの「かたち」がどのように感じられるのか、そんな興味から生まれました。WEBの仮想空間で生成されることばや情報はさほど生きていません。生きているようにみえるだけなのかもしれません。あるいはヒトがヒトのために初めてつくったおもちゃのようにもみえ、代替可能で出たり入ったりできるたくさんある世界のひとつです。そこは「ことば」の墓場のようです。 /*! elementor - v3.15.0 - 20-07-2023 */ .elementor-widget-image{text-align:center}.elementor-widget-image a{display:inline-block}.elementor-widget-image a img[src$=".svg"]{width:48px}.elementor-widget-image img{vertical-align:middle;display:inline-block} 27th May 2018 18th January 2015 このサイト「MARKUP」には有益な情報も、重要なマーケティングリソースも、最新の情報戦略も、人を幸せにするようなコンテンツも残念ながら一切ありません。何かを評価することもないので情報価値もゼロという、「WEBサイトが有用なものでならねばならない」世界の常識からするとここはデスワールドです。そんなことですのでこのサイトが一体何をしようとしているのか、ここをたまたま訪ねてきた人々も、もちろんわたし自身にも皆目わかりません。ケンブリッジ・アセンション教区墓地にあるウィトゲンシュタインの墓標に訪れた人々が小物を置いていくそうですが、なかでもミニチュアの「梯子」はなかなか気が利いています。これは、" He must so to speak throw away the ladder, after he has climbed up on it. "(論理哲学論考 命題6.54)「読者は謂わば梯子を登りきったあとでその梯子を取り払ってしまわなければならない」(意訳・ここに書かれているようなことを乗り越えてもらわなければならない)という記述にちなんでいると思われます。「MARKUP」の語る「何も語りかけない(響かない)ことば」や乱雑にならべられた「もの」のうち、乗り越えるような価値のあるものがあるかどうかを血眼になって探すより、あなたと「ことば」のその間にある何かを感じて、徐に梯子を取り払っていただければそれでよいとおもいます。...

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