SCI-Flをつうじて 「今」をかんがえます。
その世界や実装された環境とともにことば」でつむがれたすこし先の世界を参照点として「今」をかんがえる、 そんなユニットです。
「ことば」はいつでもひとに想像させる余地を残します。
その時確かに、風が吹いた。
この街は風が吹かない。「風が吹かない」と言うのは、誇張された表現かもしれない。「自然な」風は吹かないと言う方が正しい。この街は、天地と四方を特殊な素材で覆われている。外側から俯瞰で見ると大きな立方体のようになっていて、街の中の空気は機械で循環させられていて、自然な風は吹かない。もっと言うならば、天気も変わらない。データで算出された必要分だけ雨が降って、日が照って、いずれ夜になる。全部機械が管理している。計算されたものではない、「自然」に起きる物事は、この街にはない。
国が地方創生に躍起になっていた時代も遥か遠く、人口減少、税収減、相次ぐ未曾有の自然災害、伝染病、あらゆる困難に晒され、遂にはインフラ整備もままならなくなり、都市はあっけなく地方を見放した。47 都道府県あったらしい日本に今ある都市はかつて東京だった、この街のみ。それ以外は「無」だ。私はこの街から出たことがないので、どうなっているのか知らないし、それを知る術はこの街にはない。知ろうと思ったことも、ないかも知れない。
とにかく、もともと大きな都会だった東京は、地方が立ち行かなくなると分かるやいなや、国を代表する大企業と手を取り合い、まず壁を建設し、街を囲った。今は特殊な画面パネルの壁も、その当時はコンクリートの、本当にただの壁だったらしい。東京都の境に沿って壁を急ピッチで壁を建設し、人・物の行き来を制限した。そして、将来的には完全に都市を閉鎖して人も物も全てを管理することを宣言した。東京以外の地方を完全に排除し、日本国=東京になるのに大した時間はかからなかった。
そして、東京都の閉鎖が完全に完了した年から、壁の中で生まれた子供に「市民権を与え、新しく生まれた子供を「市民」、それ以外は「準市民」とした。市民権が与えられた子供がまず何をされるかというと、マイクロチップが身体に埋め込まれる。昔は犬や牛にチップをつけて管理をしていたらしいが、それと同じくヒトの子供にもそうすることにした。市民は生まれた時に全員が否応なく体内に埋め込まれるのに対して、準市民はチップの入ったウェアラブルデバイスを身に着けることが義務付けられている。このチップはあらゆることを記録、管理する。生まれた日時・身長体重から始まり、健康状態、食事管理、行動の記録、歩数まで毎分毎秒記録している。なので、昨今、昨今というか、壁の中が全て「市民」になってからは行方不明事件なんて起こらない。起きようがないのだ。「市民」のことは全て細胞の一欠片まで筒抜けなのだ。
だれに?「C.U.B.E.」に。
「C.U.B.E.」とは、このマイクロチップを初めとする都市の、市民の全てを総括しているシステム、いわば都市の心臓だ。その全貌は良くは知らない。あまりに当然に生まれた時からある空気のようなもので、私は、若い人たちはこの C.U.B.E. のことを C.U.B.E. としか知らないのだ。
というわけで、都市・市民の全ての情報は管理され、集約され、新しいシステムを形作る。ある時伝染病が大流行したときは人々の接触を一切絶ったバーチャルな未来が想像されたらしいが、しばらく先の未来、今も人は家から外へ出るし、人に会い手を繋ぎ、食事をする。ただしその行動は逐一追跡され、その時の体の状態から感情までも記録し共有される。例えば、友人と会うのに約束の必要はない。都市の中では全ての記録が共有されているためだ。相手が何を考えているのかも、何をしようとしているのかも全て分かる。
と思っていたんだ。
「それって、何がいいんだろうな」
失礼なことばかりいうな、こいつ。私は私なりに色々考えて生きている。明日何食べようとか、学校のテストの範囲どこだったっけとか。そんな私の様子を男はチラリと私を一瞥してふっと笑った。
「図星つかれて怒るんだな」 そんなこと言う前に分かるだろう、と思う。何を言えば喜ばれて何を言えば怒られる のか、そんなことは考えずとも分かるのだから。「分からないモンだよ、そういうの、本当はさ。言ってみたり、やってみたりして初めて分かる。それを次に生かす。前回と同じようにしても失敗する時もある。そうやって何度もトライアンドエラーを繰り返してやっと少し分かる、こともある。」
私は男の言わんとすることが理解出来なかった。「相手が何を言いたいのか分からない」という経験は生まれて初めてだった。
「あんたは分かりやすいほうだな」
目に見えて困惑する私を見て、男はまた笑った。
「ここの外は、訳の分からんことばっかりだ。これから何が起こるのか、とか。その代わり、何もかも自由だ。何を見て何を思うのか。そう言うのは全部自由で、自分だけのものだからな」
さっきからこの男は何を言っているのだろう。なぜ私には男の意図が理解出来ないのだろう。男の言う「外」とはなんのことを指しているのだろう。何もかも分からない。頭が混乱してきた。なんだ、こいつは。外ってまさか、本当に外のことを言っているのか。都市の外、それを知っていると言うのか。あらゆる「まさか」が頭を巡る。
無意識に呼吸が浅くなり、手のひらにじっとりと汗が滲む。俯き、手をぐっと握った。
そもそも、私の考えていることは起こりえないはずだ。もし、もしも仮に彼が「外の人間」だとして、チップの無いモノの生体反応なんてあれば瞬時に C.U.B.E. が察知して捕まる。そもそも、あの壁自体も C.U.B.E. の一部だ。越えたり潜ったりなんて不可能だ。でも、それなら、どうして彼の考えていることが私には分からないのか。彼が「市民」であれば、そんなことは到底ー
男は私の様子をじっと見て、すっとその場で立ち上がった。縋るようにそれを追って私は顔を上げる。私を見下ろす彼の表情は逆光になっていてよく見えない。眩しくて目を細める。その時、彼のさらりとした黒く長い髪の毛がぶわりと強風に煽られた。
風が吹いた。
この街は風が吹かない。街の中の空気は機械で循環させられていて、自然な風は吹かない。突風など起こるはずがないのだ。
私は目を見張る。先ほどまでは髪の毛で隠れていた彼の首筋に、それはあった。市民がマイクロチップを埋めた場所、マイナンバーとコードが刻まれた肌。そこに、私と違って、赤いバッテンが重なっている。
彼は風に吹かれた髪の毛を顔にまとわりつかせたまま、にいっと口の端を上げた。
「風は吹かない、行方不明事件は起こらない、相手のことは全て理解出来る…それって本当のことだと思うか?この都市で起こることは全て良いことだと思うか?」
だから、良いとか悪いとかでは無いのだ。そう言おうとしても声にならない。チップのあるうなじのあたりがじんじんと熱い、ような気がする。
彼は私の目の前にしゃがみ、私の目を覗き込んだ。彼の目に自分の姿が映る。私は声を絞り出す。
「…良いことかどうかってなに?」
彼は私の言葉を聞き、少しだけ目を見張ってから、またにかっと笑ってみせた。「それを考えるんだよ。自分で。そんで、自分で選ぶ。これから何をすべきかを」「自分で考えたことなんて、今まで一度もないのに」
「だから考えるんだよ。この均一な世界が、本当にお前の世界なのかどうか」
応えるように、びゅう、ともう一度風が吹いた。そこで私は意識を手放した。
日本は国民皆保険という世界的に類を見ない医療制度があるため、生活者は比較的少ない自己負担で医師に診てもらうことができます。そのため、「ちょっと調子が悪かったらまずは受診してみよう」という行動は一般的でした。ところが、コロナ禍で、公的保険で行われるオンライン診療や、公的保険外のオンライン相談が急激に広がり始めています。もちろん、病気を見逃す懸念もありますが、このオンライン受診を上手く利用することで、上記の「ヘルスケア」「セルフメディケーション」の分野をより発展させてゆくことが出来るのでは?と考えます。
体温・食事記録・医薬品服用記録+オンライン診察→薬処方まで出来る健康丸ごと管理アプリケーション
今この時代、コロナウイルスが大流行して世界が様々な変化を起こしている。
今後もどう変化していくかなど、その全ては誰も分からないが、今後社会を支えつつ我々を脅かしていくのは間違いなくネットワーク環境を含めた電子機器の発達やAIの存在といえよう。
ここからは私が夢で見た未来の話をさせていただこう。
今から何百年も先の話。地球は温暖化が進んでしまい地上に人が住めなくなってしまった。
人類は生活する拠点を地下に移す計画が進めていたが新しく全ての生活を変えていくとなると長い時間を要した。更に地下に移住できなかった人間たちは生きていけず多くの死者が出た。 そのなかで、地下生活と同時に進められたプロジェクトがある。それは進化したAIの力で全世界の人間はホログラム化されバーチャルな世界を創り、そこに移住するプロジェクトである。計画には成功したが多くの犠牲者が出てしまい、世界の人口は半分以下になってしまった。だが地下施設の再利用により、今生存しているほぼ全ての国民がその世界で生活ができている。
その世界では、髪の毛の色は自由に変えられるし、法律上情報改ざんは禁止されてはいるが痛みなく整形はできるし、自分が想像した服を自由に着る事ができる。しかし暮らしは変わっても流行というものは未だに存在していて、外を見ると若い子たちが同じような格好をしているのはいつの時代も変わっていないのだろう。
好きなことは自由な時間に自由にできるし、どこでもドアがなくても好きな場所にすぐ移動することも可能だ。動物園や水族館はもうなくなってしまったが人間と同じくホログラム化されたものが映し出される施設は人気がある。そんな昔に比べるとあらゆることがとても自由にできる世界だ。
国境なるものはなくなったが、昔でいう都道府県のようなものは国という形で存在している。国が国民への生活を保証しているため、仕事をしている人が今や全世界基準でも20%にも満たないのではないだろうか。仕事の種類も昔に比べては減ったがこのホログラム化された世界を管理する職業が主で、昔で言う政治家がホログラム化された世界の管理者たち。そしてもう一つ、肉体管理職というものが存在している。
ホログラム化された世界で、人間の肉体はどうなっているのか。 今から二百年ほど前に脳をシステムに移行する技術が開発され、寿命という概念はなくなった。だが延命は法律上禁止されており、百年経つと必ず死が訪れるようになっている。 かつて部分的に存在していた貴族は、今や国ごとに必ず存在するようになり、その貴族だけが就ける職業がある。それはホログラム化された世界の管理ではなく、ホログラム化された一般市民の肉体の管理、肉体管理職と呼ばれているものである。 「脳がシステムに移行可能となったのに何故このような職業が存在しているのか」と思うかもしれない。しかしこの職業には必要性がある。まず、産まれたばかりの赤ん坊の脳の移行手続きからはじまり、次に全ての人々を成人対応の保育器の中で管理する必要があるのだ。一見、管理する必要はなさそうに感じるが、人々が子を設けるにあたり一度現実世界に戻り性行為を行うために肉体は存在する必要があるのだ。勿論必ず戻らないといけないわけではなく、昔と比べて進化したAIを子供の脳としてデータを取り込み成長させていくことも可能であるが、AIには幼少期以下の学力の成長というものはない。幼少期の頃から最低限の知能が備わっているため少し気味が悪いものであるといえるのかもしれない。成長用保育器は一定の年齢までしか機能せず、その年齢を越えると肉体は廃棄されてしまう。廃棄されてしまえばそれ以降は二度と現実世界を味わうことは出来なくなる。これにより子を望む人はホログラム化された世界ができる前より多くなった。
先程AIを子供の脳としてデータを取り込むと記述したが、この世界でのAIは「ホログラム化された世界を管理するシステムAI」と「人間と共に生きるAI」が存在する。人間と共に生きるAIは人間とは小さい頃の知能以外は何も変わらず、性格も感情もあり、比べようとしてもほぼ判別することはできない。愛した人がAIであった、という話も決して少なくはない。AIかどうか知っているのは両親または国のみであり、差別が起こらないようにするために成人するまでAIであることを伝えるのは法律上禁止されている。
だが先日世界的に報道されたとあるニュースがある。人間とAIの脳がすり替えられていた、という大事件である。人間そっくりのAIとAIを愛した人間たちが肉体を求め、実の子を望んだことによって起きたテロだと言われている。この大事件は、何百人規模で年齢問わず行われたすり替え操作と報道された。記憶がデータ化された今、本人が本人であることすら証明できず、被害にあった人々など事件の全貌は未だに明らかにされていない。
今この世界で生きている者たちは、自分が本当の人間なのかどうかという混乱に陥っている。愛した彼が本当に彼であるのか、大切に育ててきた子が本当に実の子であるのか、自分の肉体は誰かの肉体でもあるのかどうか。守られた世界がこの大事件によって一瞬にして崩れ去った。
この世界でAIと人間とがどう共生していくのか、それはまだ誰にもわからない。
ブレインクロニクル
どこかのネットの記事で読んだ、薬を大量に摂取する方法=いわゆるオーバードーズ=で自らの命と別れを告げる予定だ。ここ最近で、死にたくなるほど特別に辛い出来事があったわけではない。ただずっと「生きていること」に違和感を覚えていて、これから先を考えると生きていく自信がどうしても持てなくなってしまったのだ。
溜めに溜めた薬を全て出し終え、手のひらにこんもりと乗せた大量の薬を見つめながら「こんなんでほんとに死ねんのかな」とぼそっとつぶやく。でももうここまできたんだ。うだうだ考えても仕方がない。大丈夫、きっと死ねる。これから死のうとしている人間にしてはずいぶんと前向きな思考回路を稼働させながら、手のひらに乗せた薬を一気に口に含んだ。
コップに溜めた水で、何度かむせながらも全て胃に流し込み、結局掃除らしい掃除もしなかっ たいつも通りのベッドに横になって静かに目を閉じ、志麻はこの世と自分に別れを告げた。
「バイバイ、世界。バイバイ、私」
目が覚めた時、志麻は見知らぬ部屋のベッドにいた。
「…? あれ…?」
状況が飲み込めず、キョロキョロと辺りを見回す。マンションのワンルームのようだが、家族 や友人のだれの部屋でもない。
今自分が眠っていたベッドは薄いグレーの羽毛布団と枕で揃えられていて、すぐ隣にはドレッ サーがある。コスメやディフーザーなども置かれているのを見ると、女性の一人暮らしの部屋であることは間違いなさそうだ。その奥の、窓がある壁にはテレビ台があり、小さめのテレビとノートパソコン、プロジェクターやCDなど趣味のものが整頓され置かれている。部屋の中央には小さなテーブルとマットが敷かれており、なんだかよく見るモデルルームのような部屋だと、混乱しているはずなのに、どこか冷静に志麻は思った。
壁には他にも、旅先で友人らと撮ったとおぼしき写真がいくつか飾られていた。そのどれもがキラキラした笑顔でとても楽しそうな表情をしている。「いいなぁ…楽しそうで…」 無意識のうちに羨ましがる声を漏らしていたことに気付いて、ハッとした。あれ、私、死のうとしてたんじゃなかったっけ。 ぼんやりと靄がかかっていた視界が徐々に晴れるように、だんだんと意識がはっきりとしてきた。
そうだ、あの日、私は死のうとした。自分の部屋で薬を大量に飲んで、目を閉じた。深く呼吸をして、どうか成功しますように、もう二度と目覚めることがありませんように。そう願って眠りについた。 自殺に失敗したの? でも、だとしたらどうして私は今自分の部屋にいないの? ここはどこなの? 私はどのくらい眠っていたの? 様々な疑問が脳内を占め、余計に混乱してしまう。何か手掛かりになるものはないか、また辺りを見回していると、ガチャガチャと玄関のドアが開錠される音が部屋に響き渡った。
「あ! 目ぇ覚めた? よかった! おはよう! あんたほんまめっちゃよぉ寝てたで! このまま目覚まさんのかな思てたわ!」 ビニール袋を片手に、ただいまぁと元気よく部屋に入ってきた一人の女性は、目を覚ました志麻を見るやいなや明るい関西弁で畳み掛けた。「え、いや、えっと…」
「あー、そうやんな、そら目ぇ覚めてこんなとこおったら混乱するわな! しかもお前誰やねんっていうね! 待ってな、説明するする!」 彼女はさっき買ってきたであろう食品をビニール袋から一つずつ取り出し、廊下にある冷蔵庫の中に順に収納しながら、こちらに向かって声をかけた。「ごめんなぁバタバタして。私の自己紹介も併せて、順を追って説明するわ!」 まだベットの上にいる私の元へ近付いてきた彼女は、マットの上に座り、えっとどこから説明しよかな…と漏らしながらも、言葉通り順を追って説明してくれた。
彼女は 閏木かりん [ うるき かりん] といった。三二歳の独身で、このマンションで一人暮らしをしているらしい。 話の途中で、さっき私が見ていた写真を指差し、これは何年前にどこどこに行ったやつで、この一番日焼けしてんのが私で、と旅先のエピソードもおもしろおかしく挟んでくれた。ニッと笑いかける表情が明るく人懐こくてとても好印象だ。 でも本題の=私が混乱している内容について=説明をする時は、ふざけることなくきちんと話をしてくれた。
・今日は二一二三年の四月一日・ここはかりんが住んでいる大阪市内のマンション・ちょうど1週間前の三月二五日、かりんの姉が勤める病院に志麻が運ばれた・半昏睡状態であったものの、特に大きな異常はみられず、数日で目を覚ますことは明確だった・身元がどうしてもわからず、引き取り手に困った姉から打診を受け、しばらく預かることにした・一週間眠り続けていて、一週間後の今日、志麻が目を覚まして今に至る
どうしてそうなったかは全くわからない。理解しようとしても頭が追いつかない。ただ彼女が嘘をついているとは到底思えないのも事実だ。部屋の家電などは見たことない物ばかりだし、聞けばスマートフォンなどももう持ち運ぶ必要がなくなっているらしい。彼女の話を信じるのであれば、私は一〇〇年の時を超えて未来に来てしまっている。
まだ聞きたいこととかわからんことあったらその都度聞いて、とまっすぐ目を見て話してくれた。「私から話すことは以上。これで全て。今度はそっちの事情話してくれる? なんか訳ありぽいから、一から一〇〇まで話せとは言わんけど、あんたが誰なんか、なんでここに来たんか教えてほしい。これからどうするかも考えなあかんし」 志麻は自分自身についてとここまでの全てを、かりんが話してくれたように順を追って説明していった。
一週間前に自殺を図ったこと、そしてそれがどうやら失敗に終わったこと、一週間経って目が覚めたら一〇〇年先の未来に来てしまったらしいということ。自分が自殺を図った日が二〇二三年=一〇〇年前=の三月二五日だと話すと、信じられない様子で眉をひそめられるかと思ったが、思いの外すんなりと受け入れてくれた。
「なるほど。確かに簡単に信じられへん話ではあるけど、でもそうやとしたら辻褄合うもんな」 志麻は素直に信じてくれるかりんに感謝を伝え、かりんがさっき出してくれた紅茶を一口飲んだ。一〇〇年経っても紅茶は美味いんだなと思った。「まあ、でも難しいことは考えてもしゃあない。あんたがどんな子かもだいたいわかったし、これからどうするか考えよう! 作戦会議や」 かりんの明るい声が響き渡る部屋で、二人は作戦会議を始めることにした。
会議は夕食を食べながら行われた。志麻が過去に戻る方法を探ることを主軸に、今後のことを事細かに話し合い、かりんの部屋で過ごすルールも決めていった。同時にかりんは、少しでも志麻に生きてほしいと思っていた。 会議ちょっと休憩しよか、と提案したかりんは、気になっていたことを志麻に尋ねた。「単刀直入に訊くけど、今もまだ死にたいって思ってる?」「正直に言えば今はちょっと混乱しててわからないです。ただ死ねなくて今まだ生きてることにショック受けてるのは事実で。あぁ私死ねなかったんだなって」「そうかぁ。まぁ混乱するのはそうよな。でもじゃあ、もし今すぐ自分の時代に戻れたら、やっぱりまたすぐに実行する?」「うーん、どうだろう。でもたぶん、なんかそんな気はします」「そうなんや。まぁ相当な覚悟決めて実行したんやもんな。一〇〇年前ってめっちゃ生きづらそうやしなぁ。歴史見てたら自殺者が多かったってのも頷けるもん」「今ってそんなに減ってるんですか? どれくらい?」「たしか一〇〇年前と比べたら十分の一以下になってるはず。ゼロではないけど、はんまに昔めっちゃ多かったんやなって思う」「そんなに減ってるんですか」「うん。だってほら、〝これ〞あるから。自分、埋め込まれてないやんな?〝これ〞」かりんは自分の頭を人差し指でトントンと叩いて見せる。「えっと…〝これ〞ってなんですか?」 かりんは、〝これ〞=脳内チップ=の正体について説明を始めた。
一〇〇年後の未来では、全員の脳内にチップが埋め込まれることが義務化されていて、心身の状態すべてが記録されるようになっていた。精神状態とリンクしていて、ストレスがその本人にとって負担となる基準値に達すると信号が送られ、それまでのストレスの要因となった出来事を振り返ることができるようプログラミングされている。 机に向かって、精神が安定した状態で冷静にその時の状況を振り返ることができ、当時の自分の感情も思い出すことができる。またその状況を第三者の視点から映像として再生することが可能なため、自分の主観ではなく、客観的に振り返ることができるとのこと。信号の発信基準は各個人を分析した上で合わせて設定されるが、定期的なターンや不規則などカスタマイズをしての設定もできる。その人にとって最適なリズムで振り返りを行うことができるのだそうだ。 はっきりとデータとして残してもらえることで、曖昧な記憶の輪郭がくっきりとし、人間関係においての認識のズレも修正できるらしい。
「だからまぁこれがあることで、自分自身の行動とか感情の振り返りができるって感じかな」「へぇ、すごい…!」「ちょっと人工的で強制的感はあるけど、その時実際に起こったシーンの再生もできるから、なんか失敗してもすぐに振り返られるのが便利で。自分の何が悪かったか見れるし反省もできんねん」「いいなぁ…もっと早くからそれがあればよかったのに…」「チップの埋め込みは無理でも、考え方を変えるだけなら誰にでもできるで」「どういうこと?」「一〇〇年前の時代で言えば…リフレーミングってやつかな」「あぁ、聞いたことあるかも」「その時の状況を思い出してみて、自分の視点を枠組みを変えて、違う視点で見てみるって感じかな。何回も繰り返してればだんだん癖付いてきて自然とできるようになると思う」「視点を変える、か…」「試しにちょっとやってみたらいいんちゃう? こんなこと言われるのうっとうしいかも知らんけど、ほんまに死のうとしててよかったんか考え直してみてほしいなって思うもん」「…ありがとうございます。ちょっと泣きそうです」「あはは、うん、泣いていいよ。ない胸でよかったら全然貸すし!」
何度見てもカラッとしているかりんの明るい表情を目にした志麻は、本当に心が晴れた気がした。優しいかりんにとても救われ、今日のご飯が人生で一番美味しいかもしれないと感じた。 その後二人のこれからの会議が再開され、志麻は過去に戻る方法がわかるまで、かりんの部屋にお世話になることになった。ただ一つ「絶対に死のうとしないこと」という約束を守るという条件付きで。
志麻がかりんの部屋で一緒に住み始めて一ヶ月が経った。過去に戻れる方法のヒントは見つかりそうになかったが、かりんが働きに出ている間は家事をし、時々かりんの仕事をリモートで手伝い、かりんの休日には買い物や趣味のイベントに付き合ったりし、「一〇〇年先の未来」での生活に慣れ始めていた。
ある日かりんが高校時代の同級生四人と一緒に飲むことになり、何か刺激になるんじゃないかというかりんの発案で、志麻も同席することになった。志麻のことは「長期休暇を取って居候しているいとこ」だと紹介した。 会って話すと全員が明るくて、人生を楽しんでいる人たちばかりだった。もちろんかりんの人柄あってこそ作り上げられた交友関係が大きいとは思うが、彼女らの楽しそうな表情は、志麻が過ごしていた現代の若者のそれとはまるで違っていた。 もちろん悩みもたくさんあるそうだが、〝振り返り〞を定期的に行うことで、情緒が安定し、自分を肯定してあげることができているという。自分自身がどういう人物で、どうありたいかの基準ができているようだった。「私もそうなりたいな」
皆の話を聞いているうちに、志麻の口から自然と小さく言葉が溢れていた。自分でその言葉を発したことに驚いたと同時に、まだ前向きになれる自分に対して嬉しい感情が芽生えた。 私まだ頑張れるかも…。そう思いながら、出された海鮮のサラダを口にした志麻が、救急車で運ばれるのはこの数十分後だった。自身にエビのアレルギーがあったことをすっかり忘れていて、ついうっかり食べてしまったのだ。
「ねえ! 大丈夫?」というかりんの声がどこからか聞こえる。 状況を察するに、救急車に揺られていることだけはなんとなく理解できたが、呼吸が苦しく目をはっきりと開けられない。「大丈夫…私、大丈だから…」 ぜーぜーという呼吸混じりの精一杯の声でかりんに伝えたところで、完全に意識が途絶えた。
志麻が次に目が覚めた時にいたのは、見知らぬ病院のベッドだった。「あ、目が覚めましたか? 先生呼んできますね」 全く知らない看護師に声をかけられ、また周りを見渡した。見覚えのある無機質な病室がいかにも令和という感じがして、なんとなく察しがついた。ガラガラとドアが開いて、若くもないがベテランでもさそうな男性の医師が入ってきた。こちらへやってきて状況を説明する。「あぁ伊谷さん、よかった。目覚めましたね。ご自身で死のうとされたんですよ。覚えてます? 胃の洗浄は行ったので、もう大丈夫だと思いますけど、しばらく入院してもらって様子見させてもらいますね」感情があまりない事務的な話し方だなと思いながら、こちらも口を開く。「えっと…すみません。つかぬことを伺いますが…」 医者は怪訝な顔をして、はい?と聞いた。
「今日って、何年の何月何日ですか? 私、どれくらい眠ってたんでしょう?」「あぁ、二〇二三年の四月一日ですよ。ちょうど一週間眠っていましたね。目覚めてよかったです。ご家族もかなり心配されていましたから。もう変なこと考えるのはやめてくださいね」 やはり感情があまりない事務的な話し方が続く。ちくっと刺された言葉が痛いなと思った。先生の話によると、仕事に出かけたはずの家族が忘れ物を取りに帰ってきて、なんとなく違和感を覚え、私の部屋を覗いたらしい。発見が早かったおかげで、一命を取り留めたとのこと。「はい。ごめんなさい。もう大丈夫です」 医者は本当かと言いたげな表情でこちらを見た。「私、眠っていた間に、一ヶ月以上の日々を過ごす夢を見てたみたいで。そこでいい友達に出会って、なんだかすごく前向きになれたんです。まだ死ななくていいなって思えるようになりました。だから…きっと大丈夫です。退院したら、もうお世話にならないようにします」 自分でもびっくりするくらい前向きなセリフを話していた。先生は一瞬ぎょっとした目でこちらを見たが、すぐまた元の表情に戻り、それならよかった、お願いしますねと言い残し、病室をあとにした。 もう少ししたら、きっと家族が様子を見にくる。怒られるかな。それとも心配されるかな。何も言われず抱きしめられたりするかも。ただどんな態度を取られても、精一杯謝ろう。それから、もう大丈夫だと伝えよう。 志麻は深く息をして、もう一度天井を見つめた。
窓の外を見る。たぶんもうかりんには会えない。これから生きていても、一〇〇年後まで私は生きていない。でもその時、私の孫かひ孫がこの世にいれば、かりんと出会うかもしれない。そしたら伝えてもらえる。「その節は伊谷志麻がお世話になりました」と。そのために、新しい出会いを求めるのもありかもな。恋愛なんてって思ってたけど、未来に希望を抱いてもいいのかもな。そういえばこの前友人が、いい人紹介してあげようかなんて言ってたっけ。ちょっと連絡してみようかな。 前向きになれているというより、もはや前向きになりすぎている自分がおかしくて少し笑ってしまった。 外は晴れていて、天気がいい。スマートフォンの電源を入れながら窓の外の空に向かって言葉を発した。「ただいま、世界。これからまたよろしくね、私」
かりんのストレス度が六〇%を超えたことで脳内チップが作動した。自身の気持ちを整理すべく机に向かう。まずは、最近の出来事の中から嬉しかったことや頑張ったことを思い出す。「一昨日行ったクラブのDJ最高やったな〜。久しぶりに無心で踊りまくって疲れたけど、あのDJが出るイベントは絶対また行きたいわ!」クラブで出会った素晴らしいDJの音楽に包まれた瞬間を思い出し、かりんの心を温かくする。さらに思い出の海馬を刺激するように、脳内チップは最近の良い記憶をアウトプットさせようとする。かりんは机に向かい、さらに考えを巡らせた。「あ、そうそう、先週のバスケの試合で、初めてシュート決めた瞬間はまじで気持ちよかったわ!次の練習もますます楽しみ!」「あと、この前ネトフリで観た映画、感動してめっちゃくちゃ泣いたな。今度友達におすすめしよ〜♪」些細な出来事を含め、ここ最近の良かった出来事を振り返ることで心のモヤモヤが少しづつ晴れていく。
続いて、脳内チップがストレスの原因となっている記憶を刺激する。かりんは少し嫌な気持ちになりながらも自分の気持ちを吐き出す。「仕事で上司にめっちゃ怒られたな。確かにミスはしたけど、田中さんあんな怒らんでも…」モヤモヤした気持ちを解決すべく、あの時のシーンを目の前に映し出す。怒られて項垂れている自分を痛々しく感じながら、怒っている上司の田中さんを観察してみる。なんだか私の後ろをちらちらと見ている。「なに見てるんやろ…」映像の角度を変えると、田中さんの視線の先には、田中さんが最近気になってると言っていた人事部の山本さんの姿が。「あれ?田中さん…山本さんにいいとこ見せようとしてない?笑 私にめっちゃ怒ってたっていうより、部下を教育してるカッコいいとこ山本さんに見せたかっただけじゃない?笑 まぁ普段はあんな怒り方する人ちゃうし、なんかおもろいからいっか」怒られていた時は嫌すぎてストレスしか感じていなかったが、上司の虚栄心に気付き、落ち込むことが無意味に思えてきたかりんは、少し気が楽になった。
そしてできれば考えたくない事がもう一つある。しかし脳内チップは容赦無く海馬を刺激する。「あぁ…。お姉ちゃんと喧嘩したんやった…」医者として日々忙しく働く姉に、仕事の愚痴をこぼしたら営業事務としての仕事を批判され口論になったのだ。かりんは再び自分の気持ちと向き合うべく、その時のシーンを映し出す。苛立つ姉の様子をまじまじと見ているとあることに気づく。「お姉ちゃんなんか顔色悪いな…。夜勤続きやって言ってたし、もしかして体調悪かったんかな…。」さらに口論の内容を聞いていると「医者は給料いっぱいもらってんねんから、忙しくて当たり前やん!」と酒に酔った勢いで暴言を吐く自分を客観的にとらえた。「いや…我ながらこれはひどいな」忙しい中、姉妹との時間を優先してくれた姉に対しての感情が、怒りから申し訳なさや反省といった感情に変化していく。「ちゃんと謝って仲直りしよ!」そう決めて、かりんは姉に自分の気持ちを伝えるべく電話をかけた。